5月23日の日記

2006年5月23日
今日はいろいろとたいへんな一日だった。
単刀直入に言うなら、とことんツキがなかった。
まあ、こんな日もあらあな。
明日はまたお天道さんが昇る(雨だったりしてな)。
飯を食ってこよう。
午前中アップしてた文章は、消した。
ちょっと差し障りがあるのと、感情的だったので。

さて、いまニュースを見たら、こんな記事があった。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1973804/detail?rd

このアナウンサーが誰でどこの学校出身か、調べようと思えば10秒で分かるのに、日テレは何をやってんだか。ニュースが流れた瞬間から2ちゃんねるでは祭りになっていた。特定まで2時間くらいだったか。それも「複数の日テレ関係者から確認した」という投稿がきっかけだ。いまや2ちゃんねる探偵の捜査能力は馬鹿にならないどころか、既存メディアをしのぐといっても過言ではない。祭りになれば数百人〜数千人(万かも?)が参加し、よってたかって調べ上げるのだから、攻撃対象となった人物はたまらんわな。で、祭りを傍観する度に思うのだが、

・これって私刑だよな。
・祭られた人間は半永久的に記録が残るわけで、ある意味公的な制裁よりキツいと言える。
・しかし書き込みしている人々も、国が本気でやろうと思えばほぼ特定可能なわけで、やりすぎはそのうち自分の首を絞める気が。
・弁護士が増えるらしいし、名誉毀損の賠償額も上がってるから(1千万円とか)、そのうち個人が訴えられるようになるんでしょうね。

まとまらないが、祭りは見てるのが一番ということだ。

5月18日の日記

2006年5月18日
 少し前の深夜、目が覚めたのでテレビをつけたところ、たいへん興味深い番組を放映していた。最後まで見終え、内容について調べたいことがあったので、ネットで検索してみた。すぐにその番組の作り手が書くブログを発見した。サイト内には掲示板が設置されている。ざっと眺めた。知人の名前を発見する。どうやらそのブログ主とも知人であるようだ。ネットがこれだけ普及したいま、こんな話、珍しくも何ともないのだろうが、それでもやはり驚いた。近い将来、そのブログ主とも何らか接触するような予感がする。ってこれは妄想かもしれないけど。

 阿部和重の「ニッポニアニッポン」を読了。比喩が無い硬質な文体が気に入る。本来無色透明であるべきなのに、後半わずかに地の文に顔を出す、あまりに自分勝手な主人公に対する作者のツッコミが面白かった。
あるところで、当時ジャズ喫茶の店主が、26歳のときに書いた文章を目にした。
以下、無断転載。

「ジャズ喫茶のマスターになるための18のQ&A」(「JAZZLAND」昭和50.8.1号)

Q1 ジャズ喫茶を始めたいと思うのですが、さしあたって一番要求される資質は何でしょうか?
A 恐れを知らぬ行動力です。

Q2 それでは一番不必要なものは?
A 知性です。

Q3 現在大学に在学中ですが、卒業はした方が良いでしょうか。
A 経験から言うと、卒業証書の表紙はメニューにぴったりです。

Q4 好きな女の子が居るのですが、ジャズ喫茶のマスターとしては結婚していた方が得でしょうか、それとも独身でいた方が得でしょうか?
A あなたが一体何を指して得とか損とか言ってるのか、よく理解できないけれど、この世の中で結婚して得をすることなど何ひとつないのです。

Q5 よくジャズ喫茶のマスターは女の子にもてるっていう話を開きます。そんな時、客の女の子には手を出していいのでしょうか?
A まったくの取り越し苦労です。

Q6 レコードは最低何故必要でしょうか?
A 度胸さえあれば15枚でOKです。

Q7 でも、「ファンキー」や「DIG」に行って、レコード棚やオーディオを見る度にガックリして、僕なんかにとても……という気分になるのですが?
A そんな所に行くのが間違っているのです。国分寺に来なさい。

Q8 僕は前衛ジャズに弱いので、それ以外のジャズを中心にやりたいのですか?
A お好きなように。

Q9 お客に文句は言われませんか?
A もちろん言う人は居ます。気にしなければいいのです。
あなたのお店なんだし、好きなようにやってみて、儲かるのもあなた一人だし、赤字を出して首を吊るのもあなた一人なのです。

Q10 お酒を出すつもりなのですが、酔って騒ぐような人が居たらどうしたらいいのでしょうか?
A 「戦艦バウンティ」という映画が昔ありました。その中で異端分子は全員船から突き落とされていました。

Q11 「スイング・ジャーナル」に広告を出すべきでしょうか?
A もちろんです。その上に「スクリーン」と「週刊平凡」に広告を出せば効果は抜群です。

Q12 僕はコルトレーンの『至上の愛』が嫌いなので店には置かないつもりなのですが、
友人は“『至上の愛』のないジャズ喫茶なんて…と言います。どうでしょうか?
A バカは相手にしないことです。

Q13 ジャズ評論家にコネがきくのですが、レコ−ド解説やコンサートをやった方が良いでしょうか?
A テスト盤をもらうだけくらいの方が賢明です。ロシア革命の時、一番最初に銃殺されたのはジャズ評論家だったそうです。

Q14 ジャズ喫茶という職業は一生続けていくに値いするものでしようか?
A 田中角栄にとって土建業が一生続けていくに値いする職業なのか?
川上宗薫にとってポルノ小説家が一生続けていくに値いする職業なのか?
猫にとってキヤツト・フードが一生食べていくのに値いする食物なのか?
非常に難しい問題です。

Q15 僕にとってジャズ喫茶はまるでなにか青春の里程標のような気がするのですが、 こういう考え方は間違っているのでしょうか?
A 間違ってはいませんが、明らかに誇張されています。

Q16 それではジャズ喫茶とは一体何なのでしょうか?
A ジャズを供給する場所です。ジャズとは何か?
僕はそれは、人生における一種の価値基準のようなものではないかと思うのです。
茫漠とした時の流れの中で、僕たちの人生がどんな風に輝き、どんな風に燃えつきていくのか?
ジャズの中に沈みこんでいる時、僕たちはそんな何かをみつけだせるような気がするのです。

Q17 そういう考え方は少し誇張されすぎてはいませんか?
A すみません。その通りです。ただ僕の言いたいのは、ジャズ喫茶のマスターがそういった使命感を忘れたらもうおしまいだっていうことなのです。

Q18 ところで話はガラッとかわりますが、今年のヤクルト・アトムズはどうなるのでしょうね?
A 当然優勝します。巨人は最下位になり、王はナボナのCMから下ろされます。

−−

一服してこよう。

5月15日の日記

2006年5月15日
「ししゃも好き?」

とだけ本文に書かれたメールが届いた。
差出人はSさんである。
10秒ほど眉をひそめ、言葉の意味を考えてみたが、考えてみたところで答えが出るはずもない。

「カレーの次に好きだよ」

と返事を出した。
するとまたメールが来た。

「でも今日遅いよね?」

ししゃもと私の帰社時間が何か関係あるのだろうか。
よく分からないけれど、「そんなに遅くないよ」と返した。

結局、待ち合わせることになった。
なぜかは分からないけれど、ししゃもを、プレゼントしてくれるらしい。
というわけで、ししゃもを貰いに行ってきます。

5月13日の日記

2006年5月13日
浅田次郎の極道エッセイにはまっております。
「赤坂二丁目豪華極道マンション」を飲み屋で読んでいたら、噴き出してしまい、バーテンに奇異の目で見られてしまった。むかし赤坂にあった、「東亜政経研究所」「新赤坂芸能プロダクション」「大日本反共連合東京支部」みたいな団体ばかり入っているマンションに浅田氏が事務所を構えてたときのエピソード。

ーーーー
 いくら巨大なマンションとはいえ、十二団体の極道がひとつ屋根の下に入居しているとは、超過密都市東京ならではの快挙。まったく必然とは恐ろしいものであります。
 そう思ってよくよく観察してみますと、半分ぐらいの部屋は、表札を出していない。その他も、たいていは臭い名前でありまして、これは十二団体どころか、どう少なく見ても百二十室ぐらいは怪しいのであります。
 こうした特殊な環境では、たとえばどこぞの大親分の放免とか、大きな葬式があったりしますと、実に妙な現象が起こる。
 十二時に出棺だからボチボチ行くべえと廊下に出たとたん、あちこちのドアがいっせいに開く。エレベータに乗りますと、途中のフロアからも、黒ずくめのスーツとか紋付き袴が、ぞろぞろと乗り込んでくる。ハコの中は、目的地を同じうした他人同士の、何とも言いようのない沈黙に支配されるのでありまして、笑っちゃいけねえと、こらえるそばからドアが開き、また一人、また一人と乗ってくる。
 後ろから見ると、黒ずくめの肩はどれもうつむいて小刻みにふるえている。結局、修行の足らない奴が「プッ」と噴き出しますと、エレベーターの中は、たちまち地獄のような笑いの渦と化し、ほうほうのていで一階ロビーに吐き出された時は、どいつもポロポロと涙をこぼしているのであります。
 喪服姿の大の男が十人も、ハンカチで目がしらを押さえながら出てくるのを見た掃除のオバさん、気の毒そうな顔で私に訪ねたものであります。
「ハァ、いったい誰がお亡くなりになったのかねえ」

5月11日の日記

2006年5月11日
ホリイさんの新刊「若者殺しの時代」を早速読む。読んでる途中で、「なんか初期の村上春樹みたいな文体だな」と思ったら、あとがきに(うろ覚え)「この本の文章スタイルは、デレク・ハートフィールドに多くを学んだ。彼にこの本を捧げようと思う。読んだこと無いから捧げようがないけど」とあって、「やっぱり」と苦笑した。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C7%A5%EC%A5%AF%A1%A6%A5%CF%A1%BC%A5%C8%A5%D5%A5%A3%A1%BC%A5%EB%A5%C9

クリスマスをカップルで祝う風習(というか、社会にかけられた呪いだな)は、1983年に雑誌「anan」がしかけた。それ以前には、そうした風習はもちろん無かったわけであります。でも、なんかみんな楽しそうだから、それに乗っかってみた。というか、女の子がそっちに曲がったから、男も後から一緒に曲がっていったと、ホリイ氏は語る。終盤、だいたい社会システムというのは、人の一生くらいの時間で変容する、という指摘があって、そうか、いまは、終戦後の日本のシステム(安保とか含め)が耐用年数を過ぎつつあるから、なんかいろいろ揉めてるんだなと納得した。でも、若者にやさしくない時代があんまり続くと、若者が怒り出しそうな気もして、どうなるか興味深いです。まとまらないけどそんな感想でした。

5月10日の日記

2006年5月10日
あちこち探し回ったスティーブン・キングの「小説作法」をとある書店にて発見、即購入、即読了。赤貧の中「キャリー」を妻のアドバイスに支えられ、コインランドリーの片隅で執筆し、20万ドルで版権が売れたくだりで落涙。最終章、99年に瀕死の重傷を負った交通事故から立ち直り、本書の執筆を進めるところでまた落涙。俺は本を読んでは泣いてばかりいる。でも本当に感動した。何より、キングが心を込めて書く文章論の誠実さに打たれた。翻訳者の力量にも感服した。ところが、amazonの書評を読むと、翻訳者の評判があまり宜しくない。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4901142674/250-8946329-3599432?v=glance&;;;n=465392

「これを読んで、自分の語彙を反省しろ!」と怒鳴りつけたい気分だ。
http://www.1101.com/translator/index.html

落ち着こう。作品をどう捉えるかは、読者の自由だ。でも、「まずは自分の鑑賞眼を疑ってみる」というのは大事だと思う。

5月8日の日記

2006年5月8日
・帰省した際、父親が「ぜひ読め」と勧めるので、ようやく「東京タワー」を読んだ。読む前から、面白いのは分かっていた。感動するだろうとも思っていた。しかし、こちらの予想を遙かに上回っていた。電車の中で読んでいるうち、涙と鼻水が止まらず、ポケットティッシュを二つ使い切ってしまった。今年読んだ本の中で、最も感動した。まいった。

5月7日の日記

2006年5月7日
亀田兄弟の兄が、試合後に相手選手のコーナーに行って、それまでの無礼さとは180度変わった態度を示すことを、テレビのコメンテーターが褒めそやしていた。偽善そのものだと思う。ボクシングもK−1もプライドにも、最近すっかり興味を失ってしまった。ビジネスと視聴率が変に絡むと、途端に面白くなくなるのはなぜだろう。亀田兄弟には早いところ負けてほしい。今のままではあまりに薄っぺらい。まだ19歳なんだから、やり直せるだろうし。なんというか、できの悪い大家族もののテレビを見せられてるような気分だ。試合前の対戦相手に対する愚弄は、細木女史の倣岸さに通じるものがある。といっては言い過ぎだろうか。旧ボクシングファンとして、とにかく、認めがたい。

GWは友人二人に散策の道案内をしていただく。東京には10年住んだけれど、きわめて行動範囲は狭かった。職場と家の往復、たまに新宿、渋谷、池袋に足を運ぶくらいで、ほとんど知らないといっても過言ではない。ご案内いただいた町は実に魅力的で、生活の匂いがし、本当の意味で文化的な感じがした。将来あそこに住もうと思います。ありがとう、お二人。夜はYさんを迎えて愉快な飲み会。

その席にて、「どうやってもちょい悪になれない」と太鼓判を押された。うーむ。寿ぐべきか。

5月2日の日記

2006年5月2日
この本が面白すぎる。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877285911/503-2926013-8964741

「私はこの先、皆さんに鮮やかな詐欺の手口とか、簡単な人の殺し方だとか、強盗、麻薬、誘拐などの兇悪犯罪のノウハウを講義するわけです」
「厳密な意味で、この世に犯罪を犯していない人間はひとりもおりません」
「罪の軽重をすべて六法全書が決めると考えるのは大きな誤りであります。
 正しくは、社会に及ぼす影響の大きいものほど罪も重くなるのであります」
「たとえば同じ殺人罪にしましても、平和な社会のシンボルである幼児を誘拐して殺したとなれば、まず間違いなく死刑を宣告されます。反面、平和を脅かすシンボルである暴力団員を殺した場合、せいぜい懲役五年か六年ですんでしまうわけなのです。これは憲法でいうところの平等の精神に反するようでもありますが、歴然とした事実であります」

といった具合に、「ですます調」の改まった口調でそれこそ善良な市民が眉をひそめる兇悪犯罪のテクニックが極めてリアルに語られているのであります。浅田氏自身が現場に居合わせた殺人事件(詳しくは同書をぜひ)の描写など、下手な小説より面白い(といっては殺された人のバチが当たりそうだが)。犯罪は奥が深いと痛感した。

5月1日の日記

2006年5月1日
幼少時、昼間働く母親に代わって私の面倒を見てくれた、近所のばあちゃんが亡くなったと連絡を受けた。だいぶ年もとり、最近は病気がちでもあったので、ある程度予期はしていた。それでもよく知る人がこの世から去るのは、寂しいものだ。嫁さんを見せるという約束が果たせず、申し訳ない。

東京より友人がやってきた。串カツ、餃子、お好み焼きをハシゴ。「昨今の2ちゃん後追い週刊誌はいかがなものか」「小野真弓、安藤美姫といったタイプはなぜ女性受けがよろしくないのだろう」といった話題を肴に、最後は我が家にて焼酎を一本空ける。翌朝は思ったより残っていなかった。ウコンの力のおかげだ。

4月30日の日記

2006年4月30日
今日は天気がたいへんにすばらしい。
まったく気持ちがよい一日だ。
そんな快晴の日の午後、俺は何をやっているかというと、ネットカフェでアイドル・タレントのブログを片っ端から読んでいるのであります。うーむ。あらためてアイドルの売りは見かけだということがよく分かった。眞鍋さんはさすが別格に面白い。さて、散歩してこよう。
連休になると毎回テレビに出てくる、成田空港から海外に向かう人らってのは、あれ、普段何やってる人なんだろうか。俺は今日、起きてからスーパーに豆腐買いに行って、スパゲティゆでて食って、ギター弾いて、いまネットカフェにおり、これから銭湯に行く予定。小あじの南蛮漬けの仕込みもしなければならない。とても海外旅行なんて行ってるヒマはないのである。

さて、銭湯に行くか。
いつのまにか「堀江貴文ダイアリー」がライブドアから消えている。うーむ。堀江さんの肉声が早く聞きたいですね。すっかりファンだな俺。
ライブドアから、下記件名のメールが来た。

初脱ぎの宮里藍、奮闘 「脱ぐしかなかった」
http://sports.livedoor.com/article/detail-3625402.html

羊頭狗肉もたいがいにしろと言いたい。
まあ、すごく見たいわけではないけれど。

私がたいへん尊敬する人が、大正十五年に、こんなことを書き残していた。

一、私は往来で帯がとけて歩いている場合などよくある。そんなとき注意をしてくれると、いつもイヤな気がする。帯がとけているということは、自分で気がつかなければ平気だ。人から指摘されるということがいやなのだ。そんなことは、人から指摘されなくても、やがては気がつくことだ。人生の重大事についても、これと同じことが言えるかも知れない。

なるほど、俺もよくチャックが開いているときに、後輩から「チャック開いてますよ(苦笑)」などと指摘され、たいへん頭に来ることがあるのだが、やはりそれは正しい感覚だったのだな。自信を得た。これを読んだ人は、例え俺のチャックが開いていても、むやみに指摘しないようにしていただきたい。
齢31にして、「俺の人生迷子だな」と思ったので、自己啓発本を片っ端から読みあさってみました。
30冊くらい読んだところで(全部立ち読み)、だいたいポイントが分かった。

・紙に目標を書き出す。
・目標に期限を決める。
・ポジティブシンキング。
・好きなこと、やりたいことを仕事にする。
・お金は後からついてくる。
・人脈を大切にする。
・いつも身の回りを整理しておく。

まあ、こんなところか。
どうやら、

・先のことなんてわかんねーよ。
・くよくよ悩むのが人間だよな。
・いつもポジティブって、脳天気なだけなんじゃねえの。
・やりたいことが仕事にできたら苦労しねえさ。
・まず今日の生活費だ。
・いやな奴はどこにでもいる。
・部屋の掃除が面倒くさい。

というようなタイプは成功できないらしい。
うーむ。6割くらい俺のことだ。

心を入れ替えよう。
今日は久しぶりに若バーに行ってから寝る。

4月21日の日記

2006年4月21日
あまりここには仕事のことを書いてこなかったけれど、今日はちょっとだけ書いてみる。

自分は仕事で、時折文章を書くことがある。ここ最近、この日記で「仕事がたいへんだ」と繰り返し書いていたのは、書かねばならない文章が溜まっていたからだ。自分が書く文章は、「無署名記事」と呼ばれるものだ。読者にとっては、誰が書いたかなんてまったく関係がない類いの文章である。大切なのは、登場する人物が誰で、何を言っていて、どれだけ有用な情報が盛り込まれているか。どの店に、何が売っていて、いくらで買えるのか、それが分かればいいのであって、誰がそれを書いているかなんてことはどうでもいい。だから、仕事で書く文章では、自分というものを一切出さないし、出してはいけない。

しかし、私はそうした文章を書くのが嫌いではない。むしろ好きだと言ってもいい。仕事を始めたばかりの頃は、取材したテープを最初から最後まで聞き返した。「なんて話し言葉というのはでたらめなんだろう」とか、「俺の声ってこんなに軽薄な印象なのか」と愕然としながら、プレイと停止と巻き戻しを繰り返し、音声を画面上の言葉に置き換えていく。その作業を数年繰り返すうちに、今ではメモと記憶で7割の文章を書き上げ、重要なところだけテープを聴くようになった。テープを最初から最後まで文章化しても、完成した原稿はまったく元型をとどめていないことが分かったからだ。

話の要点を整理し、言葉のリズムを整え、インタビュー相手の言いたいことが正確に伝わるよう注意しながら、一つの文章を仕上げていく。そのうち作業自体に職人的な楽しさを覚えた。書かれた言葉は、取材を受けた人の言葉なのだが、私というフィルターを通った、私の言葉でもあるのだ。それなりに苦労して仕上げた文章を確認のため先方に送った後で、「うまくまとまってますね」といった返事をもらったりすると、とても嬉しくなった。

仕事において私は透明な媒介である。誰かのメッセージを誰かに届けるという点で、郵便配達のような仕事と言ってもいいかもしれない。手紙を効率的に正しい相手のところに届けること。それが私の仕事である。私が今日何らかの事故に巻き込まれこの世から消え去ったとしても、一週間後には別の人物が私に代わって配達を続けているだろう。世の中とはそういうものだし、そうでなくてはならない。村上春樹はこの仕事を「文化的雪かき」と名付けた。誰かが雪かきをしなければ、道は通れなくなるし、家はつぶれてしまう。

しかし変化は起こる。
ある日、いつものように郵便配達をしている途中で、ふと思った。
「自分で手紙を書いてみたらどうだろう」
それは考えてはいけないことのようにも思えた。そもそも書くことがあるのだろうか。誰に向けて書くというのだ。さっぱりわからない。そんなことは考えるだけ無駄だし、目の前の郵便物を片づけることに専念しなければならない。頭から打ち消して仕事に励むんだ。

その考えは、結局のところ消えなかった。
そして今に至るのだが、まだどんな手紙を書けばよいのか分からない。
「野球選手になりたいんですけど、どうしたらいいですか?」
「そりゃあ、練習するしかねえよ」
「練習ってどんなことするんですか」
「バッティングとか守備とかいろいろだよ。走ったりして体力つける必要もあるな。プロ目指すんなら才能もいるし超人的な努力が必要だ」
「めんどくさいなあ。もっと楽な方法ないの?」
「だって野球で飯を食いたいんだろ」
「『誰でも3ヶ月でなれるプロ野球選手塾』とかあればいいのに」
「んなもんあるか」

これは比喩だが、世の中には、このように考える人が、実に多い。
といいつつ、俺も急に「シナリオライターって楽しそうだな」と思いつき、「誰でも書けるシナリオ教室」みたいな本を読みあさっております。新藤兼人の「シナリオ人生」に感動した。以下インタビュー。すごい人だ。
http://www.asahijobplatz.com/column/?id=37
http://www.asahijobplatz.com/column/?id=39
http://www.asahijobplatz.com/column/?id=41
http://www.asahijobplatz.com/column/?id=43

<巨匠溝口健二監督に師事していた時に、私は自分のシナリオを認めてもらえませんでしたから、大変に落ち込み、書くことをやめて根本からやり直さなくてはと考えました。そして『近代劇全集』43巻と『世界戯曲全集』の両方合わせて80巻を約1年半かけてすべて精読したのです。まるで学校へ行ったようなものですが、世界にはすごい人がいる、及びもつかない戯曲家が既に多く存在している、と目を開かされました。>

ここのところ、作家のインタビューを立て続けに読んでいるのだが、長い間残っている人は誰もがこのような努力を、無名のときにしていると気づいた。なるほどなあ。

4月19日の日記

2006年4月19日
※コメントを外部にも解放しました。

アイフルの問題の件で、「CMを流し続けたテレビ局には責任がないのか」と問題提起しているブログを読んで、「まったくその通りだなあ」と思った。テレビだけではないですね。新聞、雑誌を開けば消費者金融の広告がごまんと載ってるし、ヤフーもグーグルもサラ金は大スポンサーですよ。これだけ消費者金融があるというのは、我々の社会に必要とされているからなんだろう、きっと。ちなみに自分は借金が嫌いなのでクレジットカードすら持ってない。

結婚相談所とサラ金の広告というのはとても似ている。
どちらも身も蓋もない本音をオブラートに包んでいるからだろうか。

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