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仕事はうまくいっていた。それでもやりたいことがあった。辞表を書いたのが28歳。サラリーマン時代に貯めた100万円を手に、家に独りこもって曲作りに没頭した。自分は天才だと信じる心と、もしかしたらダメかもしれないという心の間で揺れた。それでも曲を書き続けたのは、自分には音楽しかなかったから。
30歳でデビュー、業界の常識では考えられない遅すぎるデビューと言われた。
あれから10年。
ぼくは歌う。君は? スガシカオ

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という求人広告のコピーを読み、「スガシカオ、いいこと言うなあ」と思って、下記サイトのインタビューも聞く。
http://tenshoku.mynavi.jp/suga/

実は、ここしばらく、「勢いで辞めてはみたが、果たしてこのままでいいんかなあ」と、ちょいとばかり弱気になっていた。だけどまあ「もしかしたらダメかもしれない」と思って、本当にダメにしてしまうのは、他人じゃなくて自分なんだろうと思う。

6月25日の日記

2007年6月25日
「この人にこの人を紹介したら、お互いにとってメリットがあるのではなかろうか」と思いつくことがある。で、実際に紹介する。結果、いろんなことが起こって、とても楽しい。

本日、そういう「紹介の輪」から、新たな仕事をいただいた。おお!おいらがやっていいんですか!という感じだ。うれしい。

がんばろう。

6月24日の日記

2007年6月24日
国民健康保険料の納付書が届く。

た、高い・・・・。
なんだこの金額は。

ネットであれこれ調べる。
ううううむ。日本という国は、こんなに税金が高かったのね。
会社員時代はろくに給与明細も見ずに、振り込み額しか気にしてなかったが、いざ自分が税金とか年金を払うようになると、まったく考え方が変わるな。

ざっとネットで調べた結果、自営業者は、
「年にだいたい100万円くらいは国に払うと思ったほうがいいです」とのこと。マジですか。

6月21日の日記

2007年6月21日
仕事で近隣県の海岸沿いにある、某高校に出向く。
そこのヨット部を取材するのである。

よく日焼けした先生にお出迎えいただく。
「ちょっと天候がよくないですが、ボートを出しますのでその上で撮影しましょう」とのこと。
4人乗りのモーターボートにカメラマンとともに乗りこみ、海に出る。小雨がパラパラ降っている。

沖に100メートルほど出たところで、部員が乗る3隻のヨットに近づく。それぞれ二人乗りである。
先生が掛け声をかけると、いっせいに体を入れ替え、重心によって船の向きを変える。
転覆するのではないかと心配になるくらいヨットがかしぐ。
追い風が来たとみるや、すぐに帆を降ろす。
降ろされた帆は気球のように膨らみ、ヨットは海面をすべるように進んでいく。
見事である。
西日を受け、煌く波を見るだけで、風がどう吹いているのか、分かるらしい。
「最初はぜんぜん乗れないのに、三年間でああなるんだから、驚きです」と先生。
その学校は男子校なのであるが、私が女子高生であったなら、2秒で間違いなく恋に落ちるだろうほど、部員の奴らが格好よかった。
後の取材時にキャプテンに話を聞いたところ、「僕らは、関東一、硬派な部活だと思います」と断言した。
ううむ。
格好良過ぎる。
俺もヨットやればよかった。

本日は、昼前に起床。
おとといより禁酒にチャレンジしたところ、夜が寝付けなくなり、朝寝してしまった。
しかし目覚めは快適。
酒を飲まなくなると、煙草と同じで、「なんであんなものを毎日飲んでいたのだろう。牛乳の方がうまい」と思うようになった。
良いことである。それに酒も煙草もやめて、自炊をメインにすると、一日千円あれば余裕で暮らせることが分かった。

晩飯は腹が減ったので、ゆで蕎麦を作って食った。
鍋に沸かしたお湯に豚肉とねぎのざく切りをたっぷり入れ、ひと煮立ちさせたあと、麺つゆの素を濃い目に入れて、汁を作る。
蕎麦を茹でて冷水にさらし、どんぶりにあける。
そこにスーパーで買ってきたかきあげの天ぷらを載せ、先ほどの汁をどばあっとかける。
七味唐辛子を振りかけ、完成。

甘辛くてたいへん美味。
2分程でずるずる食ってしまった。
至福。

6月15日の日記

2007年6月15日
コンビニで週刊誌を立ち読み。
折口さんはたいへんだ。

で、文春が思いっきりグラビアからぶっ叩いているのに、新潮がまったく記事にしていない。この手の「水に落ちた犬」を叩く手腕にかけては、新潮の右に出る雑誌はないのに、変だなあと思ったら、なるほど、こういうことか。

http://www.comsn.co.jp/comsnpress/shukanshincho/index.html
4月末から5月にかけてやった仕事の完成物が家に届く。
いろんな大学の理工学部の授業を聞いて、それを若い人向けにわかりやすく紹介するという仕事。
発注もとの方曰く、「去年は理系の授業をいやがる人が多くて苦労したんです」とのことだった。小生、理系の人の話を聞くのがとても好きなので(知らないことばっかりだから)、たいへん面白い仕事でありました。しかしそれを分かりやすく(かつ面白く)アウトプットするのはけっこう大変ではあったけど、なんとかやれたのではないかと思う。

工学や医学の授業を聞いていると「ああ、こういう勉強をしている学生さんがいるから、日本は世界の国の中でもやっていけるんだなあ。それに比べて俺は学生のときに、いったい何をやってたんだ」と反省することしきりであった。

あと仕事についていろいろなことを考える。
依頼されたことだけをやっていては、辞めた意味があんまり、というかほとんどない。「積みあがる仕事」をやらないといけない。
メモとして。

6月14日の日記

2007年6月14日
コムスンの件についてとてもクール、かつまっとうに分析しているブログを読む。リンクさせていただきます。

http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/20070613/1181731805

こういう「フェア」な意見を読めるのがネットのすばらしいところだ。
また禁煙の話です。興味ない人はすまん。でも自分用にメモとして残しておきたい。

禁煙にはこれまで何度も失敗してきた。
よく「禁煙なんてカンタンだよ。俺はいままでに100回は辞めた」とかつまらないことを言ってました。

でも今回は本当に辞められたっぽい。
いったいなんでだろう、と考えたときに、
「今回は、本気で辞めよう」と決意したからだと思った。

それまでは「辞めた」といっても、心の中で「また吸っちゃうかもな〜」という思いがあった。「それでもいいか」という甘えが残っていた。

今回は、それとは違って、「何が何でも絶対に辞める。なぜなら早死にしたくないから」という明確で強い理由があった。

で、いま明日の11時までに提出しなければならない原稿が2つあって、なかなか書き始められないのでありますが、これも「絶対に何時までに書き上げる」という、強い、揺るがない信念を持てば、書きあがるのかなあと思った次第。

書き出す前は、「果たして書けるだろうか」といつも思う。
そして書きあがった後は、「書きあがらない原稿はない」といつも思う。
書き始めるだけだ。
書き始めます。

6月11日の日記

2007年6月11日
コムスンの事業所の譲渡先として、某居酒屋さんの名前が出てきているようだ。

ちょっと前にこちらの会社の「クレームこそ宝」みたいな話がテレビで特集されていて、社長が社員を怒鳴りつけている様子が映し出された。それを見て、どうなんだろうなこの会社は、と思った。「自分たちはこれだけクレームに対して真摯に取り組んでます」というのをタダでテレビでPRできると目論んだのかもしれんが、同時に社員軽視の雰囲気が思いっきり見えた。

で、「ワ○ミ 介護 実態」とかで検索してみる。

ううむ。
会社というのは、買えるものなのだろうか。

「お前は馬鹿か。株式市場というのは、会社を売り買いするための場所で、市場があるから資本主義が成り立っているのだ」

そうだよね。

でも、コムスンの報道を見ていて、冒頭の疑問が、ふと頭をよぎったのである。コムスンに買収された介護サービスの会社を立ち上げた初老の経営者が、激しくコムスンの営業姿勢について怒っていたのをみて、そう感じたのだ。

ちょっと前に友人から、「なんで外資の銀行の人とかって、年収が何千万とかなの?意味がわかんない」と質問された。

「それは、あいつらが売り買いしているのが、会社だからだ。80円の大根を100円で売った儲けは20円だけど、80億の会社を100億で売ったら儲けは20億円だろ。扱ってるものの額が違うんだ」

と答えた。大筋は間違ってないと思う。

しかし冒頭の質問に戻るのであるが、
果たして、会社というのは売り買いできるものなんだろうか。
むずかしい。
みんな、喜んでくれ。
俺は、ついに、やっと、長年悩んできた、水虫が治った。

別に薬を塗ったわけでもない。
革靴を履くのを辞めたら、3ヶ月で自然治癒した。まことにもって、人体の力、恐るべし。

というわけで、水虫に悩んでいる人は、一刻も早く、革靴を履くのを辞めるべきだ。心からそう思う。

じゃあ、また。

6月5日の日記

2007年6月5日
「持ち主の分からない5千万件のデータ」とテレビでやっている。
これを聞いた人のほとんどは、「5千万件ていくらなんでもそれはないだろ」と思うのではあるまいか。

だって、日本の人口が1億2千万人でしょ。
いまのような公的年金制度がはじまったのが、1961年でしょ。
それって、加入者の半分くらいがわからんということじゃないのか。

コマーシャルでは、日本生命が保険金の不払いの件で、お詫びしている。年金と保険という、「それがあるから安心」の代表みたいな仕組みが両方ぐだぐだというのは、これはほとんど詐欺なのではないか。

フリーになる際、主に肉親に、「老後どうすんだ」とか「病気になったらどうすんだ」とか言われたわけであるが、こういうニュースを見ると、頼れるのは己のみ、という気持ちを新たにするわけである。

というわけで、昨夜から、禁酒をスタートしました。
といっても酒は煙草と違ってつきあいもあるので、「ひとりで家で飲むのをやめる」という試みである。それだけでもずいぶん家計が助かるし、何より健康に良いし、仕事のパフォーマンスが上がる。

禁煙の成功要因(まだ早いかもしれないけど)として、「ひたすらネットで情報を集めて、煙草の害について熟知し、離脱症状を正確に把握する」ということがあった。予測できる未来には、人は対処できるものである。おかげで眠くなってもイライラしても、「これはニコチンの離脱に伴う正常な生理現象だ」と、鷹揚に構えていられた。

それで、酒の害についてもネットであちこち見てまわったところ、アルコールというのは「百薬の長」どころか、確実に命を縮める毒以外の何物でもないということが分かった。ううむ。なまじっか飲める体質だけに、いま酒に対して自覚的にならんと、将来怖ろしい結果になるやもしれんな、と思いましたです。

というわけで、しばらく酒を控えます。ここに書くことでプレッシャーをかけるわけであります。がんばるぞ。おー。

6月3日の日記

2007年6月2日
自宅近くの「日本ソバ界のラーメン二郎」として知る人ぞ知る、「角萬」に昼飯を食いに行く。

12時40分に入店。
「冷や肉」を注文する。
一時間以上は待つことが自明のため、単行本を2冊持っていく。

50分ほど経過したときに、私の後から入店した男性二名が
「もう40分も待ってるんですけど」とクレームをつける。
店側は「すみません、ソバをうってゆでての繰り返しなので、なくなると時間かかるんです」との返答。

たしかにふつうのソバ屋だと思って来たら、そう思うわな。
でもここは、そういう店ではないのである。気の毒だが。
男性二人は頭に来て出て行った。

一時間半後、冷肉が出てきた。
あいかわらずめちゃくちゃ量が多い。
わしわし胃につめこむが、いっこうに量が減らない。

15分ほどかけて、食えるだけ食う。うまかった。でも全部は食いきれなかった。

5月31日の日記

2007年5月31日
「完全フリー」生活に入って、約1ヶ月が経った。

一言でいえば、静かな毎日である。
ごくたまに鳴る電話。ときおり入ってくるメール以外、生活をかき乱すものはない。

会社員時代とは、大違いだ。
よく日記にも書いていたが、一時、本気で電話ノイローゼになりかけた。
「○○さん、電話でーす」
「○○さん宛てに宅急便ですよー」
「○○、おとといメール送った件どうなってる」
といった俺宛の呼びかけがあまりにうるさくて、ある日、「正」の字をつけたことがあった。
電話や呼びかけがあるたびに、「正」の字を書いていったところ、午前中でたしか50を超えて、馬鹿らしくなってやめた。

あの頃はよくやっていたなあ。

で、フリー生活だが、静か過ぎるというのもよくない、ということが最近分かりつつある。

独立前に、いろいろと独立本を読み漁ったのだが、その中に「フリーの孤独について」書いているものがあった。それを読んだときは、「孤独大歓迎!」と思ったものだが、実際、3日間だれとも口をきかない生活をしてみると、孤独というのはボディブローのように効いてくるものであることが、よくわかった。

毎日、決まった電車に乗って、同じ場所に行って、なじみの同僚と無駄口たたきながら仕事して、居酒屋でくだを巻くというのは、なかなか良いものであるなあ、と、認識を新たにした次第である。
最近仕事で、理工の研究者に話を聞く機会があった。
その方は、プラスチックで半導体を作るという分野では、国内屈指の研究者で、いろいろと面白い話を聞けたのだが、なかでも驚いたのは、
「近々、曲がるテレビが発売されますよ。もう大学の研究レベルでは、商品化が十分可能と分かってます」
という言葉だった。

そしたら、つい先日、ソニーからこの発表が。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070525-00000000-rbb-sci

印刷で作れるので、コスト、めちゃくちゃ安くできるらしいです。そのうちポスターみたいなテレビが当たり前になるらしい。すごいな技術の進歩というのは。

というわけで、我が家はまだしばらく、12年前に買った14型テレビデオを使用する予定である。
『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読む。

優れた書物は、読者を、「読む前」と「読んだ後」で、違う人間にする。まさしくその意味で、この本を読んだ後は、世界が、生命が違って見えてくる、そういう、驚くべき一冊である。

以下、印象に残ったところを引用する。

−−
小さな貝殻はなぜ美しいか

 夏休み。海辺の砂浜を歩くと足元に無数の、生物と無生物が散在していることを知る。美しい筋が幾重にも走る断面をもった赤い小石。私はそれを手にとってしばらく眺めた後、砂地に落とす。ふと気がつくと、その隣には、小石とほとんど同じ色使いの小さな貝殻がある。そこにはすでに生命は失われているけれど、私たちは確実にそれが生命の営みによってもたらされたものであることを見る。小さな貝殻に、小石とは決定的に違う一体何を私たちは見ているというのだろうか。
「生命とは自己複製するシステムである」
 生命の根幹をなす遺伝子の本体、DNAの発見とその構造の解明は、生命をそう定義づけた。
 貝殻は確かに貝のDNAがもたらした結果ではある。しかし、今、私たちが貝殻を見てそこに感得する質感は、「複製」とはまた異なった何物かである。小石も貝殻も、原子が集合して作り出された自然の造形だ。どちらも美しい。けれども小さな貝殻が放っている硬質な光には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動的なものだけが発することのできる美である。
 動的な秩序。おそらくここに、生命を定義しうるもうひとつの基準(クライテリア)がある。
−−

 よく私たちはしばしば知人と久闊を叙するとき、「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。かつてあなたの一部であった原子や分子はもうすでにあなたの内部には存在しない。
 肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。

−−

 機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには、二度とやり直すことのできない一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間というものがない。
 生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。

−−

以上、引用終わり。

「生命とは何か?」という問いに、最新の分子生物学が導き出した答えは、次の言葉だ。

「生命とは動的平衡にある流れである」

鎌倉時代に鴨長明が記したこの有名なフレーズは、まったくもって正しかったのである。

<行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。>

本当におもしろい本です。おすすめします。

5月21日の日記

2007年5月21日
「○○さんて、見かけによらず、ギラギラしてますよね」
と、たまに言われる。

そう言われるたびに、「う、バレてる」と思う。

そうなんです。小生、ヒルズ族とか外資系投資銀行とかの奴らが、憎くてたまりません。もちろん、「ちくしょう、うまいことやりやがって」という嫉妬の念であることは、言うまでもありませんが。

ずっと前に「この世の中は、非・間抜け人間と、間抜け人間の二種類に分別されると思う」と書いたことがあったが、どうあがいても間抜け人間から抜け出せない己に対する、やり場のない怒りなどが根底にあると思われます。「外資ファンドに勤める奴なんざ国賊だ」とか言いながら、今日も安い焼酎をあおっているわけです。情けない。

で、ホリエモンなき今、ヒルズ族といえば、この方かと思うわけですが、久しぶりに見たらグラビアアイドルとの対談が載ってた。
http://www.alcazaba.co.jp/news.html

−−

貞方 昔は、テレビに出る時も、白着てなかったんだよ。グレーとか着てたよ。TVいっぱい出るようになって、1回たけしさんの番組に出た時に、黒のシャツに黒のパンツで出たの。かっこいいでしょ、上下黒って好きなんだ。でもVTR見ると、全然目立たないし、背景と同化してたんだ。だから、今は意識して目立つ白をあえて着て、画面で映えるようにしてるんだ。上下白のスーツ着てる経営者っていうのがおもしろいでしょ。セルフブランディングだよ。

小阪 セルフブランディングですか。

貞方 そうそう。だからあなたもセルフブランディングしないと、顔が綺麗だとか、スタイルがいいとか、それだけじゃこの世界にはいっぱいいるでしょ。

小阪 そうですね。勉強になります。話し変りますが、洋服はどこのブランドですか?

貞方 ドルチェ&ガッバーナだよ。小阪さんは、今日の洋服パーティーっぽくていいね。

小阪 これは、用意してもらったんです。私普段はそんなしゃれた女じゃないので・・・。

貞方 しゃれた女じゃないんだ。

小阪 はい。普段は、マルキューとかで買ったニットにミニスカートみたいな感じです。

貞方 普段はいつも何して遊んでるの?

小阪 えっと、ファミレスで2時間くらいドリンクバーで飲んで、友達と話してるだけですよ。

貞方 今日はお疲れ様でした。

−−

「今日はお疲れ様でした」

麦茶を吹いた。なんつうまとめだ。

5月19日の日記

2007年5月19日
朝起きたら、だいぶのどの痛みが軽くなっていた。

飲むヨーグルトが飲みたくなったので、近くのコンビニに買いに行く。部屋に戻るときに、郵便ポストをのぞいたら、茶封筒が入っていた。「○○新聞社」とある。先日結婚した、友人のKが勤める会社だ。

なんだ?と思って封を開けると、風邪薬が入っていた。

ありがとう、ありがとう。

ブログを書くモチベーションというものについて、ときどき考える。
ここは2002年からだから、もう5年くらい書いているわけだが、その間に、いろんな人がブログを始めて、いろんな人が辞めていった。

もちろんブログなんていうものは、始めるのも辞めるのも個人の勝手なのであって、余人がどうこう言うものではないことは百も承知。だが、ずっと読んでいたブログがいつの間にか消えると、一抹の寂しさがよぎるのも確かではある。

自分の場合、3年ばかり前に、しばらく転勤していたので、その間はここが友人たちへの近況報告代わりとなっていた。読んでいるかどうかは分からないのだけれど、なんというか、簡単に言えば「生きてます」という報告だったわけである。

ブログというのは、そういうものでよいのではないだろうか。

K、ありがとう。
「なんだ、注文があってからキャベツを切るのかよ」
「そうです」
「めんどうじゃねえか」
 私は顔をあげた。「めんどうじゃないことをたくさんやるか、めんどうなことをひとつしかやらないか。どちらか選べっていわれたら、私はあとを選ぶタイプでね」
「ややこしいことをいいますね、このバーテン」
「ケチな男だよ」白いスーツが口を開いた。「実際、ケチな野郎だ。けどインテリだな。能書き並べるケチなインテリだ。そんなやつほど話に筋をとおそうとするんだ。おれのいちばん嫌いなタイプだ」
 フライパンにバターを溶かし、ソーセージを軽く炒めた。次に千切りにしたキャベツを放りこんだ。塩と黒コショウ、それにカレー粉をふりかける。キャベツをパンにはさみ、ソーセージを乗せた。オーブンレンジにいれて待った。そのあいだ、ふたりの客は黙ってビールを飲んでいた。ころあいをみてパンをとりだし皿に乗せた。ケチャップとマスタードをスプーンで流し、カウンターに置いた。
 青いスーツがホットドッグをひと口かじり、無邪気な声をあげた。「へえ。うまいですね、これ」

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『テロリストのパラソル』からの引用である。
主人公は元過激派で、むかし爆弾事件を起こし、新宿の場末のバーのバーテンとして身を隠している。その店のつまみは、ホットドッグだけなのだ。
 まだ学生の頃だったと思うが、この描写を読んで、どうしてもこのホットドッグが食いたくなり、同じ調理法で作って食った。確かに旨かった。カレー粉がポイントだ。

 もう11年前になるのか。
朝起きたら、のどが痛い。炎症を起こしているようである。
体もだるく、微熱があるようだ。
こじらせる前に、病院に行くことにする。
こういう具合に自分の体に気を遣うようになったのは、
やはり会社を辞めたことと無縁ではない。
自分の体のみが資本。こいつがいかれたら、どうにもならん。
というのは、実は会社に勤めていようが、同じことなのだが。

藤原伊織氏が逝去。合掌。

さて、仕事。

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