雑感。
プロになる、ということについてふと思ったこと。
料理人という仕事がある。
三ツ星レストランのチーフから、激マズラーメン屋のダメ店主まで、
上を見ればきりが無く、下を見てもこれまたきりが無い。
料理自体は誰でも普通に行っている生活の営みである。
俺もけっこう好きだし、値段に釣られて不味い店に入って、
「こんなんだったら俺が作ったほうがうまいわ」
と思うことも少なくない。
ネットをちょっと検索すれば、プロ顔負けの本格的な料理を
作っている主婦の方々も山のようにいるし、
料理が趣味という男の人もいっぱいいる。
しかし彼らは料理のプロではない。
なぜならば、料理のプロになろうと思っていないからである。
ここで重要なのは、料理の「腕」が理由ではない、ということだ。
つまりプロとアマの差を分けるのは、「腕」ではなく「意識」、
もっというと「覚悟」であるといえる。
どれだけ激マズなラーメン屋でも、店を続けていられるのは、
店主に「これで食っていくしかない」という(消極的かもしれないけど)、
覚悟があるからだ。
ということは、あらゆる職業においていえるのだろうなと思った次第。
だから何かしらの職業を目指しているときに、
「自分には能力が足りなさそうだから」とか、「才能がないから」と思うのは、
入り口の時点で間違っているといえる。
「これで食うのだ」と決める、ということが何より大切なのだろうな。
プロになる、ということについてふと思ったこと。
料理人という仕事がある。
三ツ星レストランのチーフから、激マズラーメン屋のダメ店主まで、
上を見ればきりが無く、下を見てもこれまたきりが無い。
料理自体は誰でも普通に行っている生活の営みである。
俺もけっこう好きだし、値段に釣られて不味い店に入って、
「こんなんだったら俺が作ったほうがうまいわ」
と思うことも少なくない。
ネットをちょっと検索すれば、プロ顔負けの本格的な料理を
作っている主婦の方々も山のようにいるし、
料理が趣味という男の人もいっぱいいる。
しかし彼らは料理のプロではない。
なぜならば、料理のプロになろうと思っていないからである。
ここで重要なのは、料理の「腕」が理由ではない、ということだ。
つまりプロとアマの差を分けるのは、「腕」ではなく「意識」、
もっというと「覚悟」であるといえる。
どれだけ激マズなラーメン屋でも、店を続けていられるのは、
店主に「これで食っていくしかない」という(消極的かもしれないけど)、
覚悟があるからだ。
ということは、あらゆる職業においていえるのだろうなと思った次第。
だから何かしらの職業を目指しているときに、
「自分には能力が足りなさそうだから」とか、「才能がないから」と思うのは、
入り口の時点で間違っているといえる。
「これで食うのだ」と決める、ということが何より大切なのだろうな。
コメント
すごい、確かに!!
そして職業以外にも、その大小にかかわらず、
人生におけるあらゆる選択と決断に
同じことが言えるでしょうね・・・!
ありがとうございます。
オッサンさんのこの日記、私、忘れないと思います。
こんにちは、ご無沙汰しております。
コメントいただき、そんな風に感じてもらってうれしいです。
でも本当にその通りで、「誰と結婚するか」というような問題も同じことが
いえるんだろうな、と感じてます。でもまあ「覚悟」するのが難しいんですけどね。
ちょうど同じ頃に同じようなことを考えていたのでびっくりしました。
一旦「覚悟」を持ってしまったらなかなか引き返せないのもつらいとこですよね…。
おお!ご無沙汰しております! お元気そうでなによりです。
「覚悟」問題は、深いですよねー。
私はまだ、職業についてはそこまでの「覚悟」を持てないでおります。