『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読む。
優れた書物は、読者を、「読む前」と「読んだ後」で、違う人間にする。まさしくその意味で、この本を読んだ後は、世界が、生命が違って見えてくる、そういう、驚くべき一冊である。
以下、印象に残ったところを引用する。
−−
小さな貝殻はなぜ美しいか
夏休み。海辺の砂浜を歩くと足元に無数の、生物と無生物が散在していることを知る。美しい筋が幾重にも走る断面をもった赤い小石。私はそれを手にとってしばらく眺めた後、砂地に落とす。ふと気がつくと、その隣には、小石とほとんど同じ色使いの小さな貝殻がある。そこにはすでに生命は失われているけれど、私たちは確実にそれが生命の営みによってもたらされたものであることを見る。小さな貝殻に、小石とは決定的に違う一体何を私たちは見ているというのだろうか。
「生命とは自己複製するシステムである」
生命の根幹をなす遺伝子の本体、DNAの発見とその構造の解明は、生命をそう定義づけた。
貝殻は確かに貝のDNAがもたらした結果ではある。しかし、今、私たちが貝殻を見てそこに感得する質感は、「複製」とはまた異なった何物かである。小石も貝殻も、原子が集合して作り出された自然の造形だ。どちらも美しい。けれども小さな貝殻が放っている硬質な光には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動的なものだけが発することのできる美である。
動的な秩序。おそらくここに、生命を定義しうるもうひとつの基準(クライテリア)がある。
−−
よく私たちはしばしば知人と久闊を叙するとき、「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。かつてあなたの一部であった原子や分子はもうすでにあなたの内部には存在しない。
肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。
−−
機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには、二度とやり直すことのできない一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間というものがない。
生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。
−−
以上、引用終わり。
「生命とは何か?」という問いに、最新の分子生物学が導き出した答えは、次の言葉だ。
「生命とは動的平衡にある流れである」
鎌倉時代に鴨長明が記したこの有名なフレーズは、まったくもって正しかったのである。
<行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。>
本当におもしろい本です。おすすめします。
優れた書物は、読者を、「読む前」と「読んだ後」で、違う人間にする。まさしくその意味で、この本を読んだ後は、世界が、生命が違って見えてくる、そういう、驚くべき一冊である。
以下、印象に残ったところを引用する。
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小さな貝殻はなぜ美しいか
夏休み。海辺の砂浜を歩くと足元に無数の、生物と無生物が散在していることを知る。美しい筋が幾重にも走る断面をもった赤い小石。私はそれを手にとってしばらく眺めた後、砂地に落とす。ふと気がつくと、その隣には、小石とほとんど同じ色使いの小さな貝殻がある。そこにはすでに生命は失われているけれど、私たちは確実にそれが生命の営みによってもたらされたものであることを見る。小さな貝殻に、小石とは決定的に違う一体何を私たちは見ているというのだろうか。
「生命とは自己複製するシステムである」
生命の根幹をなす遺伝子の本体、DNAの発見とその構造の解明は、生命をそう定義づけた。
貝殻は確かに貝のDNAがもたらした結果ではある。しかし、今、私たちが貝殻を見てそこに感得する質感は、「複製」とはまた異なった何物かである。小石も貝殻も、原子が集合して作り出された自然の造形だ。どちらも美しい。けれども小さな貝殻が放っている硬質な光には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動的なものだけが発することのできる美である。
動的な秩序。おそらくここに、生命を定義しうるもうひとつの基準(クライテリア)がある。
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よく私たちはしばしば知人と久闊を叙するとき、「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。かつてあなたの一部であった原子や分子はもうすでにあなたの内部には存在しない。
肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。
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機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには、二度とやり直すことのできない一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間というものがない。
生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。
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以上、引用終わり。
「生命とは何か?」という問いに、最新の分子生物学が導き出した答えは、次の言葉だ。
「生命とは動的平衡にある流れである」
鎌倉時代に鴨長明が記したこの有名なフレーズは、まったくもって正しかったのである。
<行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。>
本当におもしろい本です。おすすめします。
コメント
こんにちは。ややこしい科学を、これほどまでにイメージ豊かに書きうる人は稀有だと思います。ぜひご一読を。
読むのが楽しみです。
そういえば、今日、本屋で見たのですが、帯が豪華ですね。
(変なペンネームですみません。。。)
タイトルが地味なので、大ヒットにはならないような気がしますが、担当者の自信と気合はたしかに伝わってきますね。