人間にはそれぞれ固有の「音」があると思う。会社で机に座って仕事をしているときでも、同僚を眺めていると実に様々な音を出しているものだ。机の上でかたかた爪をならしたり、キーボードを打ったり、鼻をかんだり。パソコンのキーを打つ音一つとっても、それぞれに個性がある。やたら落ち着きがない音を立てる人もいれば、ため息ばっかりついてる奴もいる。ほとんど音を立てずに机の間をすいすい歩く女の子もいれば、ゴミ箱をひっくり返したり机にぶつかってばかりいる営業マンもいる。そういえば、これまでの人生で仲良くなった人は、みんな「音」が自分に合ってたような気がする。音といえば、声も大事だ。声といえば、先日、葬式で僧侶の読経を聞いていたのだが、実に良かった。どう良かったかというと、僧侶の声は、倍音を駆使しており、聞いているうち、読経が体にしみ通ってくるような気がしたのだ。倍音の発声でよく知られているのは、モンゴルの「ホーミー」だが、僧侶の読経、神主の祝詞などにも、倍音の発声法が使われていると知った。すごい発見をしたような気がしたので、ネットで、「読経 倍音」と入れてみたら、結構有名な話であるみたい。話を元に戻すと、人が立てる音、というのはとても大切な気がするということである。化粧とかオシャレとか、見かけを磨くことばかりが重要視されるが、人間が誰かに好悪の感情を抱くときには、視覚よりも聴覚の方が優先されるように思うのだが、どうだろう。より原始的な感覚器の方が、優先順位が高いのかもしれない。「見かけはすごくカッコイイけど、とてつもなく臭い」という人は、まずモテない。嗅覚も大事だ。
コメント
人のかもし出す空気、みたいなのに敏感゛です。声、音、匂い、間合い、沈黙、表情、、、音を立てない人って、なまめかしい、、、気がします。
音、大切ですね。
ガチャガチャした音を立てる人は苦手です。
それから声のいい人にはとろけてしまいそうになります。