5月13日の日記
2006年5月13日浅田次郎の極道エッセイにはまっております。
「赤坂二丁目豪華極道マンション」を飲み屋で読んでいたら、噴き出してしまい、バーテンに奇異の目で見られてしまった。むかし赤坂にあった、「東亜政経研究所」「新赤坂芸能プロダクション」「大日本反共連合東京支部」みたいな団体ばかり入っているマンションに浅田氏が事務所を構えてたときのエピソード。
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いくら巨大なマンションとはいえ、十二団体の極道がひとつ屋根の下に入居しているとは、超過密都市東京ならではの快挙。まったく必然とは恐ろしいものであります。
そう思ってよくよく観察してみますと、半分ぐらいの部屋は、表札を出していない。その他も、たいていは臭い名前でありまして、これは十二団体どころか、どう少なく見ても百二十室ぐらいは怪しいのであります。
こうした特殊な環境では、たとえばどこぞの大親分の放免とか、大きな葬式があったりしますと、実に妙な現象が起こる。
十二時に出棺だからボチボチ行くべえと廊下に出たとたん、あちこちのドアがいっせいに開く。エレベータに乗りますと、途中のフロアからも、黒ずくめのスーツとか紋付き袴が、ぞろぞろと乗り込んでくる。ハコの中は、目的地を同じうした他人同士の、何とも言いようのない沈黙に支配されるのでありまして、笑っちゃいけねえと、こらえるそばからドアが開き、また一人、また一人と乗ってくる。
後ろから見ると、黒ずくめの肩はどれもうつむいて小刻みにふるえている。結局、修行の足らない奴が「プッ」と噴き出しますと、エレベーターの中は、たちまち地獄のような笑いの渦と化し、ほうほうのていで一階ロビーに吐き出された時は、どいつもポロポロと涙をこぼしているのであります。
喪服姿の大の男が十人も、ハンカチで目がしらを押さえながら出てくるのを見た掃除のオバさん、気の毒そうな顔で私に訪ねたものであります。
「ハァ、いったい誰がお亡くなりになったのかねえ」
「赤坂二丁目豪華極道マンション」を飲み屋で読んでいたら、噴き出してしまい、バーテンに奇異の目で見られてしまった。むかし赤坂にあった、「東亜政経研究所」「新赤坂芸能プロダクション」「大日本反共連合東京支部」みたいな団体ばかり入っているマンションに浅田氏が事務所を構えてたときのエピソード。
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いくら巨大なマンションとはいえ、十二団体の極道がひとつ屋根の下に入居しているとは、超過密都市東京ならではの快挙。まったく必然とは恐ろしいものであります。
そう思ってよくよく観察してみますと、半分ぐらいの部屋は、表札を出していない。その他も、たいていは臭い名前でありまして、これは十二団体どころか、どう少なく見ても百二十室ぐらいは怪しいのであります。
こうした特殊な環境では、たとえばどこぞの大親分の放免とか、大きな葬式があったりしますと、実に妙な現象が起こる。
十二時に出棺だからボチボチ行くべえと廊下に出たとたん、あちこちのドアがいっせいに開く。エレベータに乗りますと、途中のフロアからも、黒ずくめのスーツとか紋付き袴が、ぞろぞろと乗り込んでくる。ハコの中は、目的地を同じうした他人同士の、何とも言いようのない沈黙に支配されるのでありまして、笑っちゃいけねえと、こらえるそばからドアが開き、また一人、また一人と乗ってくる。
後ろから見ると、黒ずくめの肩はどれもうつむいて小刻みにふるえている。結局、修行の足らない奴が「プッ」と噴き出しますと、エレベーターの中は、たちまち地獄のような笑いの渦と化し、ほうほうのていで一階ロビーに吐き出された時は、どいつもポロポロと涙をこぼしているのであります。
喪服姿の大の男が十人も、ハンカチで目がしらを押さえながら出てくるのを見た掃除のオバさん、気の毒そうな顔で私に訪ねたものであります。
「ハァ、いったい誰がお亡くなりになったのかねえ」
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