村上春樹の「やがて哀しき外国語」を読んでいる。
同書に収録のエッセイ「ロールキャベツを遠く離れて」の中で、村上はプリンストン大学の学生に、どうして自分が作家になったのかを説明していた。1979年、昼下がりの神宮球場でのことだ。
(以下引用)
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 それから僕は二十九になって、とつぜん小説を書こうと思った。僕は説明する。ある春の昼下がりに神宮球場にヤクルト=広島戦を見に行ったこと。外野席に寝ころんでビールを飲んでいて、ヒルトンが二塁打を打ったときに、突然「そうだ、小説を書こう」と思ったこと。そのようにして僕が小説を書くようになったことを。
もし、あの午後に球場にいかなかったら、僕は小説を書くこともなく終わっていたかもしれない。そしてまあとくに文句もない人生を送っていたかもしれない。でも何はともあれ僕はあの春の午後の神宮球場に行って人けのない外野席に−−あの当時の神宮はほんとうにすいていた−−寝ころびながら、デイヴ・ヒルトンがレフト線に綺麗な二塁打を打つのを見て、それで『風の歌を聴け』という最初の小説を書くことになったのだ。それはあるいは、僕の人生の中では唯一の「エクストラオーディナリーな(尋常ならざる)」出来事だったのかもしれない。
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デイヴ・ヒルトンの二塁打を見た人は少なく見積もっても何百人といたはずだが、「そうだ、小説を書こう」と思って、家に帰って書き始めたのは、村上春樹だけだった。なぜヒルトンの二塁打が、村上だけに小説を書かせたのかは不明である。村上自身もそのことについては書いていない。もしかしたら二塁打でなくても良かったのかもしれない。あるいはホームランだったり、三振やファウルだったら、村上春樹という作家は生まれていなかったのかもしれない。つくづく、不思議だ。

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