連休で死にかけた
2003年7月22日■日曜。
8:00。起床。
12:00。コンビニで週刊現代を立ち読み。「衝撃!加藤あい全裸入浴ビデオ」に衝撃を受ける。おにぎりと豆乳を買う。
15:00。新宿着。「モテナイ野郎三人組、富士山登っちゃうぞツアー」のためだ。同行するのはOとF。どちらも24歳。Oは登山が趣味。Fは大学時代スキーサークル。文化部の俺には心強い味方だが、誰も富士登山の経験は無い。16時50分発のバスに乗り込む。行きのバスの中では菓子を食べたりして楽しい時間を過ごす。バカ話をしながらも、頭の中では「失恋の傷心を癒すために富士山に登りにきた25歳OL3人組と知り合わないかな」とか考えていた。あとの地獄も知らずに。
18:30。富士山五合目着。意外と近い。食堂に入り不味くて高い焼き肉定食を食べる。カレーが千円。
20:00。出発する。夜の登山は初めてだ、というより山登り自体初めてなんだが。ま、小学生でも登ってんだから楽勝だろ。最初は下り坂。ピクニック気分だ。途中まで馬に乗って登れるそうで、馬糞の臭いが漂っている。もちろん夜は馬はいない。
20:15。登山道入り口に着く。傾斜が結構きつい。駅の階段を延々登り続ける感覚。砂利が細かくて足がとられる。ときおり花崗岩がゴツゴツむき出しになった地点があり、四つん這いになって登る。
21:15。六合目。俺は富士山をなめていた。こんなにキツイとは思わなかった。体中から汗が噴き出る。俺以外の登山客はほとんど全て杖を持っている。下で見たときは、けっジジくせえとか思ってたのだが、今ではどっかに杖のかわりになるような木の枝が落ちてないか真剣に探す、も無い。植物の姿が消えた。膝がガクガクする。まわりの登山客は、みな装備が本格的である。俺はといえばワークパンツに普通のスウェットパーカー。ちょっとコンビニでも行ってくるわって感じ。上は寒いと聞いていたので薄手のジャンパーは持ってきているが、手袋は無い。懐中電灯を俺以外の全員が持っている。自分の足下すら見えない状況なので考えてみれば当然だ。「毎年何人か落っこちて死んでるんですよ」とO。この傾斜で足を踏み外したら確かに死にかねない。というかどう考えても死ぬ。
22:45。七合目。急に寒くなる。同時に風が強くなり、ミルク色のもやがあたりを覆い始めた。この辺から本格的に岩肌があらわになり、四肢を使わねば登れない場所が頻繁に出てくる。山小屋が標高200メートルおきくらいに数軒ずつあり、そこで休む。500ml入りペットボトルの水が500円。ここまで人力で持ってきていることを考えればそれくらいするのは当然だ。懐中電灯が950円で売っている。買うかどうか迷ったが、同行の二人のライトで何とかここまで進んできた。これからも大丈夫だろう、と思い、そこでは買わなかった。山小屋を出て、岩にかじりつく。手元が見えない。急に勾配がきつくなり、危険を肌で感じる。うっかり岩を踏み外したら滑落の恐れがある。結局、20メートルほど登ったところに別の山小屋があり、そこで懐中電灯を買うことを決意する。親父に値段を聞くと「2000円。電池付き」と無表情で答える。すぐ下の山小屋では950円。だが、その20メートルを下りることは危険すぎてとても出来ない。ため息をついて懐中電灯を購入する。
24:00。八合目についた。ヘトヘトのボロボロである。三人とも言葉が少ない。10分登っては小休止を繰り返すようになっていた。俺達以外の登山客も疲れきった顔で休んでいる。山小屋には宿泊施設があり、そこで泊まって翌朝早く出発するというのが一般的なようだ。上に行くに従って、登山客の姿を見るのが少なくなっていったが、みんな適当な山小屋に泊まるためだと分かった。だが、俺達は一刻も早く頂上を目指したかった。どうせなら、頂上の山小屋で休みたかった。そこには登山好きの女子大生グループとかがいるはずだ。で、みんなでトランプとかして遊ぶのだ。そこまでがきつすぎただけに、少しでもこの苦しみを早く終わらせたかった。それが全ての間違いのもとだった。
24:45。九合目。たぶん、九合目。八合目から頂上までは山小屋がない。文字通り真っ暗である。登山客の姿もまったく見なくなった。少し勾配がゆるやかな地点で「休憩しよう」と俺が呟くと二人も安堵したように荷物を下ろす。電池の消耗が勿体ないのでライトを消す。登り始めてから終始曇っていた空が、一瞬晴れて、星空が広がった。地上で見る星とは全く違う美しさだ。山の稜線が空を斜めに、どこまでも真っ直ぐ分断している。火星か月にでもいるようだ。広い宇宙に三人だけしかいないように思えてくる。「ちょっといいこと言っていいすか」とF。「あ、俺も何かそういう気分。聞かせてよ」。「山登りと仕事って似てますよね。疲れるしたいへんだけど登るしかない。それも一歩一歩自分の足で」。「言えてる」。だからってどうだってことも無い。頂上は濃い霧で全く見えない。いったい何時まで登ればいいんだ。
25:00。突風が吹いてきた。温度が急激に下がっている。吐く息が白い。俺のリュックについている温度計をFに見てもらう。「4度です」。7月の中旬なのに。あたりに人がまったく無いので、もしかすると登山道を間違えたのかもしれないと心配になる。Oも同じ心配を抱いたようで「迷った可能性がありますね」と言う。不安が広がったが「でもとりあえず上に登っていけば、頂上には着くはずだ」と迷いをふりきる。寒くてじっとしていると耐えられない。
25:30。濃いもやで5メートル先も見えない。そろそろ体力も限界である。と、そのとき、先頭のFが叫んだ。「鳥居が見えます!」。動かない足を叱咤しながら必死で登る。頂上だ! ついに、着いたのだ。心からホッとする。地面が平らなのがこんなに素晴らしいことだなんて知らなかった。一刻も早く、山小屋に入ろう。50Mほど先の山小屋に、足を引きずりながら駆け寄る。と、その下に二人の男が立ちつくしている。登山客だ。山小屋の灯りは消えており、何も音がしない。「もしかして、中に入れないんですか?」。男二人はふるえながら頷いた。「もう1時間ここにいます」。ここからが地獄の始まりだった。
26:40。いまの気温、2度。凍死、という言葉が頭を駆けめぐる。たしか、夏でも直腸の温度が二十何度かに下がると死ぬとどこかで読んだ記憶がある。手袋を持ってこなかったことを心の底から後悔する。指先がビリビリ痺れている。氷のように冷たい雨が体を濡らす。三人で軒下に身を寄せ合い、お互いの体温で少しでも暖まろうとする。自動販売機で温かいココアを買う。400円。腹の下に入れて、内臓を暖める。ガタガタ震えが止まらない。Fが体育座りしたまま顔を俯いている。「眠るな!寝たら死ぬぞ!」と起こす。人生でこんな言葉を口にするとは、想像もしてなかった。俺はみんなを眠らせないために、歌を歌うことにする。「アーイアイ、アーイアイ、アーイアイ、アーイアイ、おさーるさーんだよー」とか「南のー島の大王は、その名も偉大なカメハメハ」とか「サマードリーム、君ーはー」とか、なるべく夏っぽいやつを。
俺の歌にOとFものってきた。「おいかけろ!ドラゴンボール!世界で一等ステキな秘密。この世ーはーデッカイ宝島、そうさーいまこそ、アドベンチャー」とOが歌えばFは「ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー」と布袋の歌を歌う。俺がフリつきで「セーエーラー服を、脱ーがーさーないで」と歌ったら彼らはおニャン娘クラブをリアルタイムでは知らないんだよね。日本一の山のてっぺんで、凍死しそうになりながら、俺、ジェネレーションギャップ。「I・NO・KI、ボンバイエ、I・NO・KI、ボンバイエ、I・NO・KI、ボンバイエ、I・NO・KI、ボンバイエ」とFが大声で叫び始めた。俺も「チャ〜ラ〜ラ〜ラ〜」と間奏を合わせる。さすが猪木。身体が僅かに暖まってきた。クソ寒さを少しだけ忘れられる。パーーララーパーラーーララー、とメインテーマを歌い出したところで、俺たちの背中の戸口が、ドン! と叩かれた。うるさいから静かにしろってか。だったら中に入れろよこの人でなしが! それから1時間、「浜崎あゆみの海の家に行けばよかった…」と考えながら過ごす。
27:30。つまり朝の3時半。寒さのあまりベンチで踏み台昇降運動を始めた頃、続々と登山客が頂上に着きはじめた。彼らはゆっくり休養をとったため元気だ。3時45分、ご来光を見に来る客のために、やっと、ホントにやっと山小屋が開く。助かった。凍死しなくて済んだ。全ての人に感謝。富士山バンザイ。「食事をする人だけどうぞー」と言われるが、全然オッケー、1万円払ってもいいよ。狭い山小屋の中は、登山客ですぐに埋まった。800円のみそラーメンを食す。ぬるくて具は何も無かったけど、あんなに美味いサッポロ一番は一生食えないと思う。生きてるってだけで、人生はステキだ。雨がパラパラ降ってきて、結局、日の出は見られなかった。同行したOはまた登るって言ってたけど、俺は、もういいや。
8:00。起床。
12:00。コンビニで週刊現代を立ち読み。「衝撃!加藤あい全裸入浴ビデオ」に衝撃を受ける。おにぎりと豆乳を買う。
15:00。新宿着。「モテナイ野郎三人組、富士山登っちゃうぞツアー」のためだ。同行するのはOとF。どちらも24歳。Oは登山が趣味。Fは大学時代スキーサークル。文化部の俺には心強い味方だが、誰も富士登山の経験は無い。16時50分発のバスに乗り込む。行きのバスの中では菓子を食べたりして楽しい時間を過ごす。バカ話をしながらも、頭の中では「失恋の傷心を癒すために富士山に登りにきた25歳OL3人組と知り合わないかな」とか考えていた。あとの地獄も知らずに。
18:30。富士山五合目着。意外と近い。食堂に入り不味くて高い焼き肉定食を食べる。カレーが千円。
20:00。出発する。夜の登山は初めてだ、というより山登り自体初めてなんだが。ま、小学生でも登ってんだから楽勝だろ。最初は下り坂。ピクニック気分だ。途中まで馬に乗って登れるそうで、馬糞の臭いが漂っている。もちろん夜は馬はいない。
20:15。登山道入り口に着く。傾斜が結構きつい。駅の階段を延々登り続ける感覚。砂利が細かくて足がとられる。ときおり花崗岩がゴツゴツむき出しになった地点があり、四つん這いになって登る。
21:15。六合目。俺は富士山をなめていた。こんなにキツイとは思わなかった。体中から汗が噴き出る。俺以外の登山客はほとんど全て杖を持っている。下で見たときは、けっジジくせえとか思ってたのだが、今ではどっかに杖のかわりになるような木の枝が落ちてないか真剣に探す、も無い。植物の姿が消えた。膝がガクガクする。まわりの登山客は、みな装備が本格的である。俺はといえばワークパンツに普通のスウェットパーカー。ちょっとコンビニでも行ってくるわって感じ。上は寒いと聞いていたので薄手のジャンパーは持ってきているが、手袋は無い。懐中電灯を俺以外の全員が持っている。自分の足下すら見えない状況なので考えてみれば当然だ。「毎年何人か落っこちて死んでるんですよ」とO。この傾斜で足を踏み外したら確かに死にかねない。というかどう考えても死ぬ。
22:45。七合目。急に寒くなる。同時に風が強くなり、ミルク色のもやがあたりを覆い始めた。この辺から本格的に岩肌があらわになり、四肢を使わねば登れない場所が頻繁に出てくる。山小屋が標高200メートルおきくらいに数軒ずつあり、そこで休む。500ml入りペットボトルの水が500円。ここまで人力で持ってきていることを考えればそれくらいするのは当然だ。懐中電灯が950円で売っている。買うかどうか迷ったが、同行の二人のライトで何とかここまで進んできた。これからも大丈夫だろう、と思い、そこでは買わなかった。山小屋を出て、岩にかじりつく。手元が見えない。急に勾配がきつくなり、危険を肌で感じる。うっかり岩を踏み外したら滑落の恐れがある。結局、20メートルほど登ったところに別の山小屋があり、そこで懐中電灯を買うことを決意する。親父に値段を聞くと「2000円。電池付き」と無表情で答える。すぐ下の山小屋では950円。だが、その20メートルを下りることは危険すぎてとても出来ない。ため息をついて懐中電灯を購入する。
24:00。八合目についた。ヘトヘトのボロボロである。三人とも言葉が少ない。10分登っては小休止を繰り返すようになっていた。俺達以外の登山客も疲れきった顔で休んでいる。山小屋には宿泊施設があり、そこで泊まって翌朝早く出発するというのが一般的なようだ。上に行くに従って、登山客の姿を見るのが少なくなっていったが、みんな適当な山小屋に泊まるためだと分かった。だが、俺達は一刻も早く頂上を目指したかった。どうせなら、頂上の山小屋で休みたかった。そこには登山好きの女子大生グループとかがいるはずだ。で、みんなでトランプとかして遊ぶのだ。そこまでがきつすぎただけに、少しでもこの苦しみを早く終わらせたかった。それが全ての間違いのもとだった。
24:45。九合目。たぶん、九合目。八合目から頂上までは山小屋がない。文字通り真っ暗である。登山客の姿もまったく見なくなった。少し勾配がゆるやかな地点で「休憩しよう」と俺が呟くと二人も安堵したように荷物を下ろす。電池の消耗が勿体ないのでライトを消す。登り始めてから終始曇っていた空が、一瞬晴れて、星空が広がった。地上で見る星とは全く違う美しさだ。山の稜線が空を斜めに、どこまでも真っ直ぐ分断している。火星か月にでもいるようだ。広い宇宙に三人だけしかいないように思えてくる。「ちょっといいこと言っていいすか」とF。「あ、俺も何かそういう気分。聞かせてよ」。「山登りと仕事って似てますよね。疲れるしたいへんだけど登るしかない。それも一歩一歩自分の足で」。「言えてる」。だからってどうだってことも無い。頂上は濃い霧で全く見えない。いったい何時まで登ればいいんだ。
25:00。突風が吹いてきた。温度が急激に下がっている。吐く息が白い。俺のリュックについている温度計をFに見てもらう。「4度です」。7月の中旬なのに。あたりに人がまったく無いので、もしかすると登山道を間違えたのかもしれないと心配になる。Oも同じ心配を抱いたようで「迷った可能性がありますね」と言う。不安が広がったが「でもとりあえず上に登っていけば、頂上には着くはずだ」と迷いをふりきる。寒くてじっとしていると耐えられない。
25:30。濃いもやで5メートル先も見えない。そろそろ体力も限界である。と、そのとき、先頭のFが叫んだ。「鳥居が見えます!」。動かない足を叱咤しながら必死で登る。頂上だ! ついに、着いたのだ。心からホッとする。地面が平らなのがこんなに素晴らしいことだなんて知らなかった。一刻も早く、山小屋に入ろう。50Mほど先の山小屋に、足を引きずりながら駆け寄る。と、その下に二人の男が立ちつくしている。登山客だ。山小屋の灯りは消えており、何も音がしない。「もしかして、中に入れないんですか?」。男二人はふるえながら頷いた。「もう1時間ここにいます」。ここからが地獄の始まりだった。
26:40。いまの気温、2度。凍死、という言葉が頭を駆けめぐる。たしか、夏でも直腸の温度が二十何度かに下がると死ぬとどこかで読んだ記憶がある。手袋を持ってこなかったことを心の底から後悔する。指先がビリビリ痺れている。氷のように冷たい雨が体を濡らす。三人で軒下に身を寄せ合い、お互いの体温で少しでも暖まろうとする。自動販売機で温かいココアを買う。400円。腹の下に入れて、内臓を暖める。ガタガタ震えが止まらない。Fが体育座りしたまま顔を俯いている。「眠るな!寝たら死ぬぞ!」と起こす。人生でこんな言葉を口にするとは、想像もしてなかった。俺はみんなを眠らせないために、歌を歌うことにする。「アーイアイ、アーイアイ、アーイアイ、アーイアイ、おさーるさーんだよー」とか「南のー島の大王は、その名も偉大なカメハメハ」とか「サマードリーム、君ーはー」とか、なるべく夏っぽいやつを。
俺の歌にOとFものってきた。「おいかけろ!ドラゴンボール!世界で一等ステキな秘密。この世ーはーデッカイ宝島、そうさーいまこそ、アドベンチャー」とOが歌えばFは「ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー」と布袋の歌を歌う。俺がフリつきで「セーエーラー服を、脱ーがーさーないで」と歌ったら彼らはおニャン娘クラブをリアルタイムでは知らないんだよね。日本一の山のてっぺんで、凍死しそうになりながら、俺、ジェネレーションギャップ。「I・NO・KI、ボンバイエ、I・NO・KI、ボンバイエ、I・NO・KI、ボンバイエ、I・NO・KI、ボンバイエ」とFが大声で叫び始めた。俺も「チャ〜ラ〜ラ〜ラ〜」と間奏を合わせる。さすが猪木。身体が僅かに暖まってきた。クソ寒さを少しだけ忘れられる。パーーララーパーラーーララー、とメインテーマを歌い出したところで、俺たちの背中の戸口が、ドン! と叩かれた。うるさいから静かにしろってか。だったら中に入れろよこの人でなしが! それから1時間、「浜崎あゆみの海の家に行けばよかった…」と考えながら過ごす。
27:30。つまり朝の3時半。寒さのあまりベンチで踏み台昇降運動を始めた頃、続々と登山客が頂上に着きはじめた。彼らはゆっくり休養をとったため元気だ。3時45分、ご来光を見に来る客のために、やっと、ホントにやっと山小屋が開く。助かった。凍死しなくて済んだ。全ての人に感謝。富士山バンザイ。「食事をする人だけどうぞー」と言われるが、全然オッケー、1万円払ってもいいよ。狭い山小屋の中は、登山客ですぐに埋まった。800円のみそラーメンを食す。ぬるくて具は何も無かったけど、あんなに美味いサッポロ一番は一生食えないと思う。生きてるってだけで、人生はステキだ。雨がパラパラ降ってきて、結局、日の出は見られなかった。同行したOはまた登るって言ってたけど、俺は、もういいや。
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