■アンマンで爆発を起こした毎日新聞記者が特赦された。この爆発事故のニュースに最初に接したとき思ったのは「仕組まれたテロか」ということ。やがて事件が記者の不注意による爆発だったことが明らかになってからは「俺も同じ立場だったらやってたかもしれないな」と感じた。翌日から「記者なのに信じられない軽率さだ」とか「記者の風上にもおけない」としたり顔で言う人々がメディアに溢れたが、そこまでよく言えるな、と思いながら見ていた。作家の辺見庸は『単独発言』の中で、アフガン取材時に拾ったクラスター爆弾の破片を、10個持ち帰ったと書いている。今回爆発したのと同じ、クラスター爆弾を、だ。両者の違いは「爆発する」という機能が残存していたかどうかに過ぎない。辺見はその破片を、戦争に反対する集会で、聴衆に実際に触らせることでイラク戦の非人間性を理解してもらおうとしたと記している。観察力に欠けた一記者の失態を叩くならば、その爆弾を雨あられと人が住む地に降らせて、そしてこれからも降らせるだろう国への非難が前提に無ければ説得力がない。

■記憶のために記録しておく。

Yさんは、俺が社会人になりかけのときに働いた会社の社長だ。体はデカイし、性格は剛胆かつ繊細で、スポーツマン。週末には葉山の海でヨットを楽しむという、絵に描いたような格好いいオジサンだった。

魅力的な人物だったが、仕事にはとても厳しかった。結局俺は、その会社で半年間働いた結果、「君はこの仕事に向いていない。別のもっと違う、例えば公務員のような仕事についた方がいい」と言われ、そこを辞めた。辞めてしばらくの間は、Yさんとその会社を呪って過ごしていた。そして、いわゆる「創造的」な仕事は自分にはもう一生関係ない、これからはベルトコンベアーで流れてくる歯磨き粉のチューブにふたを取り付けるような仕事をして、一生を終えよう、と本気で思った。

しかし、その後紆余曲折を経て、俺はそのYさんと同じ業界で再び働くことになった。数年してから、一回だけ挨拶に行ったことがある。しばらく世間話をした後、「大人になったな」と一言いってくれた。そしてその後は、一度も会っていない。

先週末、机の上に一通の封書が届いていた。Yさんの会社からだった。開けてみるとYさんが病気のために急逝したという知らせだった。まだ50代だったはずだ。その会社を辞めるときに「人生に無駄な事は何もないんだ」と繰り返し話してくれたのを思い出した。

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